老~大~帮我翻
当然のことながら、皆さんは常に私のメッセージから自由です。戦争について、皆さん自身の考えを持ってください。
今まで私は人道的な抗議行動や、政治性を帯びた行動には距離を置いてきました。背景に政治的な利害や、おめでた平和主義が隠れているものに情緒的に賛同すれば、正しいことをしていると感じていても、目に見えない「いけない事」に加担してしまう可能性を感じたからです。
9・11以降の世界は正気を失いました。確証が無いままに手際よく憎悪を向ける相手を提示され、正気を失わせる恐怖と憎悪は多くの人々を殺戮に同意させてしまいました。そして今、人々が正気を取り戻し始め、平和的手段による問題解決を望む中、アメリカは国際法秩序を無きものとする殺戮を開始しました。
このような差し迫った危機を目の前にして、もはや距離を置くことは私にはできません。今、この法秩序を無視した殺戮を許せば、その後の地球は無法地帯になりかねないのです。
私はこのような殺伐とした状況の中でアルバムを作ることになりました。準備に際して訪れたカンボジアでは、大虐殺の痕跡と、今もなお被害に苦しむ人々や、命をかけて殺戮の後始末をする人々を見ました。見上げた遺跡の石像は激怒しているかのように見えました。「正しいか、正しくないか迷っている間に、次々と人が殺されてゆく」と。そこで私は、情緒的であろうとなかろうと、こみ上げる感情に素直になり、きっぱりと意思表示をしようと決めたのです。
国家は利害で動きます。自分の属する国家が結果として殺戮を容認する姿勢を見せようと、国民の一人として私は、「それには同意しない」と、今ここに反戦の意思を表明します。