(上级者向)两篇关于日式RPG的拯救世界主题的议论文
和製RPGが愛されるのはただの懐古趣味なのか?
90年代に多感な時期を過ごした20〜30代のアメリカ人ゲーマーにとって、和製RPGは特別な存在らしい。その思い入れは単なる懐古趣味なのか、それとも、今日の視点から見ても和製RPGには学ぶべき点が多いのか――フリーライター/エディターのジェイソン・シュライヤー氏は、ブログメディア“Joystiq”でそう問いかけている。
かつての和製RPGのスタイルは決して廃れたわけではない。アップルのApp Storeや、マイクロソフトのXbox LIVE マーケットプレースを見てもわかるとおり、スーファミやメガドラの時代を思い起こさせるテイストのゲームは、インディーズ系では数多くリリースされている。それは、開発コストが安くすむからだけではなく、和製RPGがもっていたスタイルに格別の愛情を注ぐ人が今もなお多いからだろう。
しかし心理学者のジェイミー・マディガン氏によれば、昔のRPGが素晴らしく思えるのは、よかったところだけを覚える“記憶の選択”が働いているからだという。「過去に起きたよいことだけを記憶する傾向が、人にはあることが研究により示されています。ポジティブな記憶に残る感情の痕跡は、ネガティブな記憶におけるそれよりもゆっくりと薄れていくものなのです」――そして、大人の苦労を知らなかった若い頃の記憶を、昔のゲームは呼び覚まし、幸福感を味わわせてくれるのだという。
一方、和製RPG風へのオマージュをこめて『Dragon Fantasy』を作った開発者のアダム・リッポン氏は、昔の和製RPGを今も高く評価する立場。今日の多くのRPGに比べて、ゲームシステムが大変優れていると述べている。「80〜90年代のゲームは特別な何かがあったと思いますよ。初期の『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』を作ったチームは、今日に比べると規模がとても小さい。小規模なチームほど良質で大胆なゲームを作れる。あまりに多くの資金を開発につぎこむと、ビジネスが介入してゲームデザインが損なわれることがしばしば起きるものです」
と、相反する2つの立場を踏まえたうえで、シュライヤー氏はこう考えている。RPGは本来「自分は冒険している」「キャラクターは成長している」「行動を自由に選択できる」感覚を楽しむジャンルだが、いずれも本当はゲームデザインで巧みに構築された幻想にすぎない。大人に成長してそのことを悟ったゲーマーは、新作RPGを冷笑的にとらえがちだが、懐古趣味をくすぐるゲームでは無垢な心に戻り、RPGの作り出す幻想に心ゆくまで浸れるのではないか。だから『ファイナルファンタジー』や『クロノ・トリガー』などのリメイクが次々とリリースされるのではないか、と。
「昔のゲームはよかったなあ」と思いつつ今日やってみると、古くさく感じられるのはよくあること。でも、時がたっても風化しない面白さも存在する。かつての和製RPGを愛する人々は、その面白さをこれからも大事に語り継いでいくのだろう。
(中島理彦)