同时,一段详细的剧情获取,尚未确定是HEAVEN AND EARTH或者是-EXODUS-的内容。待确认后翻译。
新種のフェストゥムが誕生。竜宮島を狙う。
人間型フェストゥムが対話で解決しようと乗り込んでくる。
が、真壁がどうしようか決断保留してるからどんどん攻めて来る。
一騎が孤軍奮闘して説得。
人間型はなんか懐柔されて、新種のミールも同意して攻撃収まる。
でも消滅したわけでない、この地球で共存。
で目の前に総士。
2年の時を経た、島の子供達について。
尺の関係でそれぞれ長い見せ場があるわけでもないが、短い場面でも色々と感じる所はある。
堂馬広登。衛から譲り受けたゴウバインの仮面は、守るという意志。「
俺が、守るんだ」。その台詞は、衛と同じもの。想いは確かに、繋がっている。
立上芹。フェストゥムの声を聞き、その消滅に墓標を作る。
虫にさえ「命」を感じていた芹だからこそ、フェストゥムの「命」を感じることができた。
弔い。それは相手を倒すべき敵とだけではなく、命ある存在として認めているからこそ。
要咲良。同化現象の後遺症から満足に動けない咲良は、楽しそうにファフナーに乗って空を翔ぶ。
その姿は、翔子の姿に良く似ている。当たり前だった「体を動かせる」ということが、
どんなに尊いことであったか、失って初めて知った。
羽佐間カノン。羽佐間の姓を名乗る彼女は、完全に島の一員となっていた。
戦闘シーンで見せた、フェンリルを作動させようとして思い留まり、
「私はまだ、ここにいる」と叫ぶシーンは、今作屈指の名場面。
近藤剣司。戦闘に怯える姿は消え去り、今や総士の代わりに戦闘指揮官を務めている。
戦いの中で一番「大人になった」のは、もしかすると剣司かもしれない。
印象的だったのは、今作では別の存在の形を選んだ者を含めて、「誰も死ななかった」こと。
ラストもそうだが、この辺りも同じ冲方脚本、能戸総監督の「ヒロイック・エイジ」を思わせる。
来主操について。
ミールの中で新たに生まれた、ミールの一部ではなく独立した意志を持つ存在。
作中で操はミールを「神様」だと言うが、だとすると操は正しく神の子。
神の子である操が人の形で生を受けたこの作品こそは、クリスマスに相応しい。
「空が綺麗だと、思う」。印象的に何度も繰り返される言葉だが、この名状し難い感情は、
敢えて言えば「もののあはれ」だろうか。変わらないものなどない。
だから、変わらない蒼穹に想いを馳せるのだ。そう口にすること自体、
操が変わる「可能性」を持っていることに他ならない。痛みを感じて涙を流す操は、
悲しみという感情を知っている。だからこそ、総士は希望を操に託した。
憎しみによって戦うミールと拮抗する新たな存在の誕生という、希望を。
それでも、戦いたくないのに、神様=親たるミールの憎しみに逆らうことのできないでいる操に、
一騎は言う。「神様に伝えろ」と。一方的に従うしかなかったミールと対等に対話すること。
その決意は、子供が親から自立する歩みにも似る。操は正しく「親離れ」して、
戦いたくないという思いを胸に、人類との共生という新たな可能性を持ったコアになった。
そして総士の帰還。
そのシーンは、やはり海。冲方先生脚本の「ヒロイック・エイジ」でもそうだった。
原初において存在と無が交じり合った母なる海から初めて生命が生まれたように、
総士もまた存在を選んだ。誓いは、ようやく果たされた。